長谷部恭男 6/4 松山大学講演会の案内

「集団的自衛権の行使は違憲」、昨年6月4日に開催された衆議院憲法審査会において、各党の推薦する3人の憲法学者が、安保法案を「憲法違反」だと明言しました。その中でも、現憲法下で集団的自衛権の行使が認められるとの立場で安保法制を通そうとしていた与党側から推薦された長谷部さんがこう言い切ったのは衝撃的でした。奇しくもちょうど1年後の6月4日、松山大学にて渦中の憲法学者・長谷部恭男さんにじっくり話が伺えます。挙って参加しましょう。若い学生諸君もぜひ足を運んでください。

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この日は、政府与党が検討している「緊急事態法制」に焦点があてられる予定です。政府与党は、熊本地震の後、ここぞとばかりに、この法制で国民の自由を縛ろうとしています。こうした与党側の動きを見るにつけ、私が思い起こすのは東日本大震災が起こる少し前に出版され、直前(2010年12月)に日本語の翻訳が出たアメリカの作家レベッカ・ソルニットが『災害ユートピア』(原題は'A Paradise built in Hell', Rebecca Solnit,2009)で述べている次のような指摘です。


概して、自然災害や戦争時など、人々が甚大な災害に襲われるとき、「治安の維持・回復」が第一義的に重要だと必死になる人たちがいる。実際、近年アメリカを襲ったハリケーン・カトリーナでは、スーパーに押し入る強盗の姿がメディアに大々的に取り上げられ、人々の恐怖感を煽ることに一役買った。だが、ソルニットによると、1906年のサンフランシスコ大地震から2005年のハリケーン・カトリーナによる大災害時を含めて、大多数の人々がとった行動は全く違ったものであることを、数多くの残された記録文書や、聞き取り調査で明らかにする。
むしろ、大地震や津波、大火災などで人々の財産が失われたとき、人々は、普段見られなかったような相互扶助的な行動を取ることが一般的だというのである注1)。誰もがそれまで各自の生活を支えてきた財産の一切を無くしてしまい絶望のどん底に落とされているかに見える地獄絵のような場面においてこそ、人々の相互扶助的な精神は最大限発揮されこの絶望的な状況を切り開いてきたのだという注2)。これがこの本の表題にある、「地獄に打ち立てられた楽園(天国)」の意味である。

なぜだろうか?平常時それまで各人を隔ててきた秩序や財産という壁が、大災害時には取り払われるからだとソルニットはいう。確かに、そうした状況で一人抜け駆けしても、人々に共通にのしかかった困難を取り除くことなどとてもできない。残された道は、単独では弱い人々が互いに助け合うことによって生み出される活力に賭けるしかないのである。それは、かつて、ヨーロッパなど地球上の主要地域で支配的地位にあった体も大きく屈強なネアンデルタール人など他の人種が優勢を誇る中で、アフリカの限られていた一地域で細々と暮らしていた我々人類の祖先ホモ・サピエンスが、「血縁を超えて助け合う」というその弱さゆえに獲得した能力によって、やがて地球全域を支配する勢力を形成していった歴史を思い起こさせる。注3)

ソルニットは、同時に、こうした災害は、それまで築いてきた富や秩序への郷愁を捨てられない一部の富裕層や特権階級のなかに、「エリートパニック」を引き起こすという。そうした人たちにとっては「治安」を乱す恐れがあると彼らが(そして彼らのみが)信じている「悪人たち」から「国民(←実際は彼ら自身)」を守るため非常大権を行使したいと考えるのである。そうしたことが現実になると、こうした非常時権力は、人々の相互扶助的なコミュニティに介入し、これらを破壊し、果ては治安維持を語りながら住民を迫害したり、盗賊行為を行うことさえあったという。日本の歴史にはそうした不幸な事例が存在する。1923年の関東大震災の際起きた事例がそれである。「災害に乗じて朝鮮人や社会主義者が放火や政府転覆を企てている」という根拠のないうわさがばらまかれ、それを阻止すべく結成された自警団による朝鮮人や社会主義者に対する虐殺行為は、軍隊や警察権力によって黙認されたばかりではなく、場合によっては彼らによって誘導さえされたという注4)

巨大な威力を以って我々人類を圧倒する自然の威力の前で、それに立ち向かう相互扶助的な努力によって発揮される力を信頼できない一部のエリートが構想する「緊急事態法」がいかに危険極まりないものであるか、この作家は私たちに警告を発しているように思える。(文責HP担当M)

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